@article{oai:ngu.repo.nii.ac.jp:00001197, author = {笠井, 雅直 and 藤井, 隆久}, issue = {1}, journal = {名古屋学院大学論集 社会科学篇, THE NAGOYA GAKUIN DAIGAKU RONSHU; Journal of Nagoya Gakuin University; SOCIAL SCIENCES}, month = {Jul}, note = {1950年7月,トヨタ自動車工業の三代目社長となった石田退三は,朝鮮動乱による特需を米軍詣でにて捉え,第1次受注の75%を取得することに成功した。その後の受注によって得た余剰資金を基に,予てよりの生産設備近代化5ヵ年計画を再設定し,自動車量産体制を整える。石田の目には,乗用車生産と海外進出があった。石田は,外国車メーカーとの提携を避けて,国産車確立の道を選択した。政府の国民車構想もあり,石田の願いは乗用車クラウンにて果たされる。さらに1956年に,乗用車専用工場である元町工場の建設を決断することで,高度経済成長の開始による自動車需要を掴まえようとし,1957年にはクラウンがアメリカへ輸出される。石田の下で,トラックのトヨタから乗用車のトヨタへ転換することで,同社の売上は1951年3月期の43億円から1960年11月期の570 億円となる。激増であった。それは石田の経営手腕によるものであった。石田による経営方式は,豊田佐吉以来の従業員第一主義の踏襲,石田が始めた自己資金による持続的な設備投資,自動車製造事業を中心としたトヨタの拡大路線の推進として発揮された。}, pages = {1--24}, title = {石田退三とトヨタ自動車工業 : 石田・トヨタ式経営への革新}, volume = {56}, year = {2019} }